大阪市内にあるアメコミバー、クロスオーバーさんで開かれたキャプYさん、もとい翻訳家の吉川悠さんのトークショーに行ってきた。

今回のトークショーは「フランク・ミラーバットマン」がテーマということでキャプYさんが翻訳して刊行したばかりの『ダークナイト:マスター・レイス』なども絡めての大変濃密な時間でした。

以下、ざっとした覚書。

 

・ミラーのバットマンニーチェの超人思想をベースにした善悪の彼岸を超える存在である。極めて治安の乱れた社会だからこそヒーローとして受け入れられる余地のある存在。「我々は犯罪者だ」というセリフはそれ故に出てきた。『シビルウォー』の原作でのキャプテン・アメリカの主張をより極端にした存在と言えるかもしれない。

 

・そのような苛烈で強烈な存在であるバットマンをDKRではコミックの枠線で演出する。枠線を破壊し、乗り越える。枠線は檻。テレビ画面という枠線に閉じ込められているアナウンサーやタレントたちとの対比。

 

・ちなみにDKRやウォッチメンのような3×3、4×4コマ構成はアーティストがめちゃくちゃ大変らしく、「SENさんもシャザムでやることになって苦労していた」とのこと。

 

・DKRはレーガン、DK2は911、DK3はトランプとその時々の社会情勢の影響を受けている。

 

・特にDK2はDKRが自分の考えとは違う受容をされたことに対するケジメとして、ヒーローたちによる痛快な活劇を描こうとしたが911で方針が狂ってしまった。

 

・DK3がとっちらからずにきちんとした構成になったのは恐らくアザレロが頑張ってミラーのアイディアを整理したからではないだろうか。いわくつきの『ホーリー・テラー』と同じようにムスリムへの偏見も見えるが『ホーリー・テラー』ほどのやばさは無い。

 

・ミラーの表現者としてのスタンスはあまりぶれない。権力者、マスコミ、警察……etcへの不信や怒り。「DKシリーズを手がける時には怒りを維持し続ける必要がある」と語ったそう。

 

・DKシリーズは次作が最終章になるらしいが、いつ出るのかさっぱり分からない。そもそも次に手掛ける予定だったスーパーマンはどうなった。


・ミラーはDKシリーズでの描かれ方から「スーパーマン嫌いではないか」と言われるが「そんなことはない。むしろ初めて好きになったヒーローはスーパーマンバットマンにフォーカスするとどうしてもああいう役回りにせざるをえない」と主張しているとのこと。

 

・ミラーはキャリーに対して思い入れが深い。娘のような存在。ヴァリアントにやたらキャリーが描かれているのはミラーの意向なのでは……?キャリーを主人公に小さい子供向けの作品をやりたがっているらしい。

 

・ミラー、昔は自作の模倣に思うところがあったが、最近は「自分自身も色んな人が作り上げてきた創作の流れに乗ってきたのだと気づいた。後続のクリエイターも自分を模倣しながら新しい流れを作っていくのだと考えると腹が立つこともなくなってきた」という境地らしい。

 

・DK3と同じくトム・キングの『ミスターミラクル』、スコット・スナイダーの『ダークナイツ・メタル』、ジェフ・ジョンズの『ドゥームズデイ・クロック』といったDCのトップライターの近作はいずれもトランプ政権下の空気を織り込んでいる。