グラスホッパー (角川文庫)

グラスホッパー (角川文庫)




なんというか、白昼夢に迷いこんだような気分になる話だと思った。

主役というか一応語り部として設定された三人、鈴木、鯨、蝉の三人の感情だけがフォーカスされて、実際に起きている事の印象がひどくあいまいで、それがどうおこったのかがぼやけている。

鈴木は槿の<家族>と接して気持ちがゆらぎ、鯨は罪悪感のあまり幻覚に歯止めがきかなくなり、蝉は無反省に自身の自由のみを追い求める。

殺し屋が多数登場するから必然として死人も多く出るが、その死の瞬間もあまりはっきりとは描かれない。

暗示するような文章であったり、口伝えであったり、回想されたりする場合が多い。

この話の中で一番中心的であると思われる鈴木の妻の死など交通事故で死んだと鈴木のモノローグで軽く触られるだけで、具体的な状況はまるで語られない。

むしろ生きているときの様子が多く描かれたり、「妻がそう言っているような気がした」などの書き方が多いせいで、「生きている」感じのほうが強い。

ここまで書いてきたように、この「グラス・ホッパー」は確かにどこか曖昧な手触りを伝える話だ。

だが、これが不快かと言うとそうでもない。

これはむしろ逃避としての曖昧というよりむしろ現実に対する批評としての混沌なのだと思う。

死と生の境界が滲んだ世界で、それでも満たされぬ心を持って、生きていかねばならないと、そう伊坂幸太郎はアジテートしているのではないだろうか。