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『ゼロ・ダーク・サーティー』を観た。
フィンチャーの『ゾディアック』を思い出す。
大きな闇。そこにひたすら潜り続けることを選んだ人の物語。
当たり前だが闇の中に光なんてある訳がない。
この映画には勇壮なBGMも、派手なカーチェイスや銃撃戦も、輝かしい愛と平和と自由も無い。
十年かけてマヤが追い続けてきたものをヘリコプターが運んできた時の彼女の居場所の無さは残酷すぎるほどだ。
彼女は声一つ出すことを許されず、ただ息づかいだけが我々に届く。
吐息。そう、彼女が無二の友人を失った時と同じように。
死体袋の中に入っていたのもまたマヤにとって喪失そのものであった。
ゆえに最後の問いかけにマヤは答えを持たない。
無明。