ゆらゆら帝国のしびれ

ゆらゆら帝国のしびれ

初期のゆらゆら帝国のトレードマークとして、「ノイズにまみれた、暴力的でありながら、サイケデリックなギター」が挙げられると思う。

そしてそこから脱却しようと試行錯誤した結果、このアルバムで見出した新しい<武器>

それがビートである。

ロックンロールの生々しく跳ねるビートとは対極を行く、テクノのマナーにのっとった無機質で、反復されるビート。

例えば『ハラペコのガキの歌』『誰だっけ?』『貫通』はそれが顕著にでていると言えるだろう。

特に『貫通』の曲の終盤に向けての間奏において鳴らされる、まるで無数の雨粒が鉄板を撃つような音のビートの嵐は圧巻。

また歌詞についても考えなくてはなるまい。

「時間 それは感覚であって 生きたということはただの記憶でしかない 時間が俺を脅す」(『時間』)

「名前すら持たずに 鏡にうつってるあんたっていった誰なんだっけ?」(『誰だっけ?』)

このように「しびれ」では「喪失への焦燥・恐怖」が描かれている。

(そしてそれはこのアルバムと同時に発表された「ゆらゆら帝国のめまい」が「喪失へのノスタルジア」を描いたことと見事に対照的だ)

そしてこの言葉が前述のビートに乗ることで、よりいっそう不穏な空気が増していく構造になっている。


向井秀徳ではないが、このわれわれの生きる冷凍都市のテンションを見事に描いた名盤であるだろう。