ガッチャマン』を観た。

この世界中を巡る憎しみの連鎖に閉じ込められた一人の少女と二人の少年。

その鎖の外を望んだ彼女たちはしかし、そこにも憎しみしかないと知る。

だが、憎しみが捨てられないならば、せめて片手には愛を握ろう。

そういう話でした。

スクリーンにでかでかと出てくるロゴがダサいことと、スーツ、というヘルメットのデザインがダサいことと、ギャラクターの大型兵器がとにかくダサいことと、CGで加工してる人物とそれが貼りつけられた街並の間のズレのようなものと、健とジョーとカッツェ以外の登場人物がどうでもいいやつばっかりだからか無理に躁病的台詞回しでキャラ付けしていることと、最後の火の鳥発動のくだり以外は悪くはなかった。

そしてかなり意外だったのはベルク・カッツェの設定で、これだけでかなり作品に奥行きと幅が加えられていた。

華やかなヒーローなどでは決してない呪われた戦闘人形としてのガッチャマンとその鏡合わせのベルク・カッツェ。

そう、ガッチャマンは少なくともこの映画の中ではヒーローとしては描かれていない。

だからヒーローをヒーローとして崇める民衆も出てこない。

そうしたモブの台詞は二時間の映画の中でも三分に満たない。

ガッチャマンはヒーローではないから救うべき、守るべき人々を描かなかった」のか「救うべき、守るべき人々を描かなかったからガッチャマンがヒーローに見えない」のか、単に下手くそなだけの後者という気もするが、前者として考えた方が腑には落ちる。

しかし、あの最後のカットを元に続編を作るのだろうけど、そうしたら今回以上に健とジョーがいちゃいちゃするだけの映画になるな。