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『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の感想書きます。
ネタバレの嫌な方はゲラウトヒア。
今回のテーマは「生」でしたね。
「せい」というか「なま」。
モード・ビーストとか食事会とか「ぽかぽかする」とか匂いとか血とか「自分の望むことをやりなさい」とか絶叫とか繋ぎあう手とか抱きしめ合う身体とか。
心身両方の根源的記憶・衝動をダイレクトに想起・動揺させようという感じを受けた。
だからこそ執拗に、一見すると似つかわしくない童謡が流れたんじゃなかろうか。
童謡って、自分の魂の奥底に刷り込まれたもんじゃない?
だから聴いてるとどうしようもなく心も身体も揺さぶられる。
その辺の効果狙ったんじゃない?
あとエンディングの“Beautiful World”が生演奏を基調としたアレンジだったのも、同じ理由だと思う。
その辺、新訳ゼータや劇場版エウレカとシンクロしてる感じがするなあ。
「ごめん、世界がどうというより、あなたと触れ合うことのが大切です」というか。
分断化・細分化・個人化される社会に対抗するための直接的コミュニケーションの回復、ね。
シンジと綾波とアスカのそれぞれの気持ちがはっきりと描写されてんのもそういうことでしょ。
より人物間のコミュニケーションの形をはっきりさせて、円滑にさせるための演出ってうか。
それにしても「それって、好き、ってことじゃない!」とか、「好き」っていう言葉をまさかこの作品で聞くとは思わなかったから、ゾクッとした。
しかしまあやっぱ庵野、反省したんかな。
あのエレベーターでアスカのビンタを綾波が止めたり、綾波の「私が死んでも代わりはいるもの」って言葉をシンジが否定したり、わりとテレビ版でディスコミュニケーションの象徴として結構印象的だったものが、今回こういう形に変えられてるってのは、あまりにも殺伐としすぎたテレビ版を反省したんかもな、と。
とは言え、シンジの「父さんも、大事な人を無くせば分かるんだ!」にはへこむ。
いや、お前、母親死んだの忘れてないかい、っていう。
ゲンドウもへこむわ。
やっぱここのラインは上手くいかない流れなのかね。
まあ、なにもかもがうまくいってたまるか、という気分ではあるが。
でもシンジ、かっこよかったよね。
かなりカタルシスあったよね。
目が赤くなるわな、そら。
しかしまあ、なんとも凄い作品になったもんだ。
このままだと「90年代はエヴァ、00年代もエヴァ」になってしまうんじゃなかろうか。
以下、こまごました雑感。
・マリは……このままだとマホメド・アライJr的ポジションに。
・それにしても陰が無いというか、さっぱりした子だね。
・そして無自覚エロス。
・カヲル君、上裸でサービスサービス。
・加持さん、BL的サービスサービス。
・「アアアァァアアアッ!」
・加持がシンジと話してる時って、大事な話してる風でそっぽ向いて適当に流してるよね。
・でも「ミサトを頼む」って言うときだけ、ちゃんと顔見て喋るんだよね。
・走るための壁がズァっと立ち上がるとこは燃えますね。
・やつら走りすぎだよ、ロボの動きじゃねぇ。
・トウジがアイス食べた後、「ハズレか」って言ってるのは、あれ、今回テストパイロットに選ばれなかったことにかけてんだろうね。
・アスカは、今回はちゃんと弱い子として描かれてた。
・「惣流」は完全に取り繕って、自分の傷から逃げきろうとしてんだけど、「式波」はもう全然取り繕えてないし、それに自分も気づいてる感じ。
・ダミープラグのあのギミックいいよね。
・見ようとしても見えない、動こうとしても動けないっていう。
・「食事にしよう」って、綾波、薬しか飲んでないがな。
・いや、ほんとマリが物語を都合よく進めるためのガジェットにしかなってない感じが。
・カヲルのメタっぷりがすごいな。セリフ3つしかないのに、すごい存在感。
・Q