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mixiに書いたものを転載。
・『亡念のザムド』はとにかく惜しい作品だった。
・たとえば主人公の住む尖端島が南大陸自由圏との戦争に敗れ、占領されているという経緯や、その南大陸自由圏と山脈を挟んで存在する北政府が戦争を行っている現状なんて、ほんと物語の世界観の基盤になるような設定なんだから、もっと最初っから丁寧に、分かりやすく伝えるべきだった。
・それこそ『機動戦士ガンダム』なんてしつこいくらい毎週の頭に現状説明やってたじゃん。あそこまでとは言わないけど、もうちょっと最初くらいは、ねぇ?
・ていうか語ることをさぼりすぎだよ。
・雷魚が伊舟と北政府でゲリラ活動やってた時期と雷魚がザムド化した時期の前後関係がすごく曖昧だし、伊舟が郵便船を始めた経緯も全く触れられない。
・ザンバニ号の中の人間関係も分かるようで、やっぱり分からない。コバコがナキアミに拾われたっていう話も最後の最後になるまで全然出てこないし。
・あとさ、クジレイカの扱いのひどさにはほんと参る。クジレイカのザムド化って、ナキアミの反応からするとかなりの外法みたいなのに、全然その辺踏み込まないまま、あっという間にヒルケン皇帝に吹っ飛ばされるし。
・あぁ、そういや垣巣をなんであんな半端なところで退場させたんだろうな。見てる人的には「あぁ、こいつ最後まで敵として話を引っ張るんだろうな」としか思えないのに、あんなところで……。
・最後ら辺の戦いも唐突なんだよなぁ。あんな総力戦めいたことを南側がしかける動機がまったく見えてこない。テシクの村の襲撃もそれと同じで、やる意味なんて全く無い。むしろ懐柔して北政府と争わせるべきだろう、あそこは。
・あと群像劇っぽい手法を取ってたくせに、それぞれが全員最後までばらばらで、収束していかなかったのも非常に不満。ザンバニ号、最後の戦いに間に合わないって、どういうこと。
・自我=名前=生きる意志を持たないヒルケン皇帝に、アキユキが自分の名前を渡すというシークエンスは確かにカタルシスあったんだけども、ヒルケン皇帝が救われたからって、大巡礼で死のうとしていた信者たちが救われるわけでもなかろうに。
・いやもうだからほんとこの作品はもっとちゃんと語るべきだったんだよ、色々と。説明することがださいとでも思ってんのかね。「なんか行間を読ませる演出って、オシャレじゃない?」とでも思ってんのかね。
・だからほんとに惜しかったと思う。 面白くなる要素が要素だけで終わってしまった。