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劇場版『PSYCHO-PASS』を観た。
思った以上に朱が狡噛の間の距離をはっきりと描写していて、ちょっとびっくりした。
狡噛や征陸、さらには槙島や鹿矛囲たちの言葉や思いを取りこんで朱は強くなった。
一方で狡噛はいまだに失踪する前と変わらない孤独な猟犬のままだ。
一期の終盤、朱は記憶の中の秀星やゆき、そして槙島と問答をして自分の中の答えを探り当てた。
しかし狡噛は幻として現れた槙島に対して自分の答えを言葉にするができず、銃声をもって問いをかき消してしまう。
かつて弥生が吐き捨てたように「時代遅れ」の有様を狡噛はさらけ出している。
その容赦の無さに若干いたたまれなさを覚えてしまった。
その対比でえらくかっこよく見えたのが宜野座でしたね。
何だかんだで大人ですよ、宜野座は。
さてセンチメンタルな話はここまでとして。
事前に各所で虚淵玄と深見真が触れ回っていたとおり、ダイナミックなアクションシーンのオンパレードでたいへんゴージャスでしたね。
ここまでシラットがちょっとした味付けではなく、がっつりと組み込まれた映画は日本でも稀、アニメでは間違いなく初めてでしょう。
「型?知るか、殺せたらそれでいいだろ」というサツバツとした組手も捨てがたいですが、ある程度、型のはっきりした組手というのもやはり様式美といいますか、惹かれるものが確かにある。
で、そのアクションシーンを彩る敵役ですが。
ニコラス・ウォンは本性を出すのが遅すぎたように思うし、ルタガンダは小賢しすぎて凄味は感じなかったし、ちょっと不完全燃焼。
せっかく『地獄の黙示録』をオマージュするならカーツ大佐を出さないとね。
もっともそうした場合、狡噛をカーツ大佐にあてがう必要があるんだけど、それは作品の性質的に無理だろうから仕方ない。
あと朱の着替えシーンとかシャワーシーンとか、妙にサービス?シーン多かったですね。
よく考えれば一期でも二期でもシャワーシーンがあったっけ。
しかし何故か一番胸が強調されてるのはスパーリングでドローンの腕関節を極めてる時という。
あの時だけはCカップぐらいありそうだった。